進化を続ける近鉄特急

近鉄は総延長約500km(2府3県)と民鉄最長の路線を有し、大阪・名古屋・京都の三大ターミナルのほか、伊勢志摩や奈良大和路など沿線には歴史や自然にあふれる観光地があり、都市間輸送や観光輸送など多様な目的に対応した特急列車が走行しています。時代ごとの社会変容に対応しながら、新技術・独創的なアイデアをもって開発してきた近鉄特急の歴史を振り返ります。

急誕生前~
百年の大計として生駒トンネル掘削を決断

近畿日本鉄道の歴史は、1910年に大阪と奈良を最短距離で結ぶ電気軌道を敷設するため、現在の近鉄の源流となる奈良軌道(後に大阪電気軌道、以下「大軌」)を創業したことから始まりました。当時、大阪-奈良間の鉄道は他社線が生駒山を迂回する経路で運行していましたが、将来的にも競争の余地がなく、「永続して利益をもたらす路線」という考えのもと、大軌は生駒山をトンネルで貫通する経路を難工事の末に実現し、所要時間を大幅に短縮させました。
1931年に参宮急行電鉄(当社の前身の一社)が上本町(現:大阪上本町)-宇治山田間の直通運転を開始しました。この直通運転用として新造した車両が2200系でした。当時としては国内最大級の20mを超える車長に150kW主電動機を搭載するなど、連続急勾配を走行するための先端技術が駆使され、ゆったりとしたボックスシートや特別室も設けられるなど、戦前の電車の最高峰とも言われました。

  • 上本町ー宇治山田間直通運転用として新造した2200系
  • 豪華車両だった特別室
(左) 上本町ー宇治山田間直通運転用として新造した2200系
(右) 豪華車両だった特別室

鉄特急誕生~
快適な輸送サービスを目指して

1947年10月8日、近鉄で初めての有料特急が走行しました。上本町-近畿日本名古屋(現:近鉄名古屋)間を伊勢中川で乗り換えて4時間3分で結ぶものであり、民鉄初となる座席定員制としました。戦後の混乱期における鉄道の旅客輸送は、車両は資材不足で破損修理も不十分であり、また車内も大変混雑していることが常態となっていました。そうした時代の中にあって近鉄は、小さな子どもと一緒でも安心して座って旅行できる特急の運行を開始し、大量輸送だけではない鉄道の役割や快適な輸送サービスの在り方、それを追究していく自社の姿勢を強く示したのです。1949年から座席指定制としましたが、当時の広告にある「躍進するサービス」というコピーにも近鉄が目指す鉄道事業の姿勢を表しました。
サービス内容も拡大し、1957年から特急車両に列車公衆電話(日本初)、シートラジオ(日本初)、車内冷房などの特別装備を整え、おしぼりサービス(日本初)など新たな取り組みを導入していきました。こうした積極的なサービスの導入は、近鉄特急のサービスが草創期からいかに先駆的であったかを物語ります。

  • 名阪特急として活躍した2250系
  • 座席指定制特急運転開始当時の広告
(左) 名阪特急として活躍した2250系
(右) 座席指定制特急運転開始当時の広告

創期を代表する車両・ビスタカー

1958年に上本町-宇治山田間で運行を開始した10000系は、当時としては画期的な車両でした。愛称は「ビスタカー」、電車として世界初の2階建て構造でアメリカの大陸横断鉄道の列車にヒントを得て開発されました。以降の特急車の基本となるオレンジとブルーのツートンカラー、流線型の先頭、高床運転台、当時最新鋭だった平行カルダン駆動方式、空気ばね台車、回転式シートなど、斬新なデザインと高機能化を図った新技術が組み合わされ、まさに次代を切り拓く特急車両として誕生したのです。
当時、名古屋線は軌間が1,067㎜で、1,435㎜の大阪線とは直通運転ができず伊勢中川での乗り換えが必要でした。そのため名古屋線の広軌化計画が進められていました。しかし、翌1959年9月に東海地方を直撃した伊勢湾台風によって、名古屋線は桑名駅以東の線路水没をはじめ、全線にわたって道床・路盤の流失、電柱・建物の倒壊など甚大な被害を受けます。近鉄は復旧と併せて名古屋線の80㎞を超える区間を一気に広軌化する計画を立て、被災から2カ月で復旧工事を、軌間拡幅工事はわずか9日間で完了させました。従前の形に戻すのではなく、進化させて復興したのです。
同年12月には、「2代目ビスタカー」として10100系が上本町-近畿日本名古屋間で直通運転を開始しました。軌間が統一されたことで、以前は乗り換えを行っていた伊勢中川駅でスイッチバックを行い、所要時間は2時間27分と飛躍的な進歩を遂げました。その後、短絡線を整備したことで、スイッチバックも解消し、1961年にはノンストップ運転が開始されます。「2代目ビスタカー」は1960年に、近鉄として初めて鉄道友の会会員が投票によって選定するブルーリボン賞を受賞しました。
そのほか主要駅停車用特急として、1961年に「エースカー」(10400系)、1963年には「新エースカー」(11400系)を開発しました。こうして名阪間の路線は、都市間輸送の重要な幹線へと成長していきました。

  • 世界初の2階建て電車 「初代ビスタカー」
  • 「ビスタカー」2階席

線特急網の拡大

1964年10月、近鉄の特急戦略に変革をもたらす非常にエポックメーキングな出来事が起こります。国鉄(現:JR)の東海道新幹線(東京-新大阪間)の開業です。これにより、名阪間の乗降客が減少し、しかもそれが一時的ではなく永続的であることは想像に難くありませんでした。
そこで、近鉄が反転攻勢の一手として行ったのが特急ネットワークの整備でした。新幹線とお客さまを取り合うのではなく、新幹線を介して東京方面からの利用者を誘客するため、沿線観光地へのアクセスを充実する施策を打ち出したのです。こうして幹線特急網の整備が強化され、1964年には京都-橿原神宮(現:橿原神宮前)間、京都-近畿日本奈良(現:近鉄奈良)間、1965年には大阪阿部野橋-吉野間、1966年には京都-宇治山田間など続々と特急運行を開始しました。
その一方で旅客サービスも一層の向上を目指し、1967年には、車内で軽食を販売するスナックコーナーを設けた「スナックカー」(12000系)、1969年には「新スナックカー」(12200系)も登場しました。
1970年に大阪で開催が決定した万国博覧会に向けて近鉄は伊勢志摩を「万国博第2会場」と位置付けてさまざまな取り組みを行いました。鳥羽線を延伸して、軌間拡幅工事が完了した志摩線と接続したほか、上本町と近鉄難波(現:大阪難波)間を開業し、近鉄難波・京都・近鉄奈良・近鉄名古屋と賢島間で特急の直通運転を開始しました。大阪万博の開催時には来場者の多くが伊勢志摩にも足を延ばし、周遊しました。
また、難波という大阪を代表する繁華街に近鉄が直接乗り入れることで、大阪都心部の人の流れも変化し、1960年代に大阪で整備が進んだ地下鉄や、国鉄、南海電鉄との接続は大阪の都市交通の基盤形成に大きな役割を果たしました。
1977年には「サニーカー」(12400系)が登場しました。愛称は客室に白とオレンジ系の色調(サニートーン)を採用したことに由来しています。「サニーカー」と1978年に運行を開始した「ビスタカー3世」(30000系)によって近鉄特急は2年連続でブルーリボン賞を受賞しており、沿線のお客さまのみならず、鉄道愛好家の方からも多くの支持をいただきました。

  • スナックコーナー
  • 近鉄難波駅で行った祝賀列車出発式
  • 鳥羽・志摩線開通のワイドポスター
  • 「ビスタカー3世」(30000系)

ピードアップ・省エネの時代へ

1980年代の後半になると、スピードアップや省エネルギーを視野に入れた車両が開発されるようになりました。「ビスタカー」に代わる名阪ノンストップの専用車両として、1988年に登場したのが「アーバンライナー」(21000系)です。民鉄初となる最高時速120㎞運転の認可を得て、大阪-名古屋間の所要時間は最速で約2時間に短縮されました。1990年には南大阪線・吉野線(ともに狭軌)で、同じく最高時速120㎞の「さくらライナー」(26000系)が運行を開始しました。
また、1992年には、将来的な速度向上(130㎞/h)に備え、省エネルギーや省メンテナンスなども考慮した「ACE」(22000系)が登場し、1996年には南大阪線・吉野線でも「ACE」(16400系)が走行を開始します。次代に向けたコンセプトで開発されたこれらの特急車両はグッドデザイン賞を受賞しています。
1994年には、テーマパークとホテルの複合施設「志摩スペイン村」の開業に合わせて、大阪、名古屋と伊勢志摩を結ぶ「伊勢志摩ライナー」(23000系)が登場し、民鉄初の最高時速130km運転を開始しました。

  • 「アーバンライナー」(21000系)
  • 「アーバンライナー」デラックスシート車
  • 「伊勢志摩ライナー」(23000系)
  • 「伊勢志摩ライナー」サロンシート車

動時間も旅の目的として
楽しめる特急

2000年代に入ると、モータリゼーションの進展や少子高齢化社会の到来など鉄道事業を取り巻く社会環境が大きく変化し、またお客さまが鉄道に求める機能やサービスも多様化していきます。「鉄道移動は単に目的地を目指すだけではなく、移動時間も旅の目的の一つであり、車内で楽しく心地よい時間を過ごしたい」という観光客のニーズに応え、上質な空間を備えた特急の新造が検討されます。

そうして第62回神宮式年遷宮を迎える2013年に誕生したのが、大阪難波、京都、近鉄名古屋と賢島を結ぶ観光特急「しまかぜ」(50000系)でした。座席は本革製のシートでリラクゼーション機能を導入しています。さらに展望が楽しめるハイデッカー車両や、グループ専用の洋風個室、掘りごたつ風の和風個室なども設けています。カフェ車両では専属アテンダントが沿線の食材を用いたバラエティに富んだフードやドリンクを提供するなど、地域振興の一翼を担っています。車両性能では、横揺れ軽減装置(フルアクティブサスペンション)を全車両に導入し最新技術を積極的に取り入れるとともに、低騒音の電動空気圧縮機や駆動装置、LED照明の本格採用など環境にも十分に配慮しています。
「しまかぜ」の開発前には、特急利用者、観光事業者、関西・中部・首都圏にお住いの方々を対象にヒアリングやアンケートを実施して研究を重ねました。こうして移動を特別な体験として提供する観光特急が実現したのです。「しまかぜ」は観光輸送用に特化して開発された設備面を評価され、2014年にブルーリボン賞を受賞しました。

「しまかぜ」(50000系)

  • プレミアムシート
  • カフェ車両

2016年には南大阪線・吉野線を走る「青の交響曲(シンフォニー)」(16200系)が登場しました。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された吉野・金峯山寺などの観光資源にあふれる南大阪線・吉野線において、「上質な大人旅」をコンセプトに開発されました。クラシカルでエレガントなデザインで、ラウンジ車両も設置されています。座席部分には吉野地域の竹材を使用しているほか、大型のバーカウンターを設け、沿線の「自然」や「食」をテーマとしたスイーツやワイン、地酒を提供するなど、沿線観光振興を目的として導入されました。

「青の交響曲」(16200系)

  • 座席スペース
  • ラウンジスペース

2020年には、大阪難波-近鉄名古屋間に「ひのとり」(80000系)が登場しました。「くつろぎのアップグレード」をコンセプトに、日本で初めて全席にバックシェルを採用し、プレミアムシートの座席間隔を日本最大級の130cmとするなど、お客さまの快適性を徹底して追求した特急車両です。大型荷物も収容可能なロッカーや荷物置きスペースの確保、4カ国語の車内情報表示、日本初のコーヒーサーバタイプの自動販売機の設置など、ビジネス利用のお客さまだけでなく観光のお客さまにも快適にご利用いただけるよう設計されています。近鉄の看板列車である名阪特急の魅力向上を図るとともに、都市間輸送の新たなスタンダードを目指しています。「ひのとり」は車内の快適性などが認められ、2020年にグッドデザイン・ベスト100、2021年にブルーリボン賞を受賞しました。

  • 「ひのとり」(80000系)
  • プレミアムシート

2022年には大阪-奈良-京都の三都を結ぶ「あをによし」(19200系)が登場しました。三都市間を乗り換えなしで結ぶ観光特急を運行させることにより、相互間の移動の活性化を図ります。大阪・京都から奈良観光へはもちろんのこと、首都圏から京都経由で奈良へ、さらにはインバウンド観光客が大阪・奈良・京都の三都を巡る旅で利用されることも見据えています。車内には天平文様や正倉院の宝物をモチーフにしたデザインをあしらい、乗った瞬間から古都・奈良を旅している感覚を味わえます。近鉄では初となる1列+1列シートを採用し家具調の座席デザインを取り入れるなど、ゆったりとお過ごしいただける空間を整えています。

  • 「あをによし」(19200系)
  • ツインシート

近鉄は、これまで都心部から沿線観光地への輸送や都市間輸送など多様な特急ネットワークを構築するとともに、様々な特急車両を開発してきました。いずれも「乗ること自体が旅の目的」となるよう車内の快適性や楽しさを追求するとともに、沿線地域の風土や文化などの魅力を発信しています。また、観光特急以外にも沿線地域とさまざまな連携を行い、協働して地域の魅力を開発、発信していくことにより、観光の振興に取り組んでいます。こうして時代ごとの社会変容に対応しながら、新技術や独創的なアイデアから数々の特急車両が誕生し、沿線の観光振興や近鉄のブランド力向上につながっています。

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