伊勢志摩開発ヒストリー

2016年にG7伊勢志摩サミットが開催された伊勢志摩エリアは、近鉄グループが長年にわたって開発を行ってきた最重要観光拠点です。
伊勢神宮を目指して路線を延長することから始まった近鉄グループの伊勢志摩開発、その歴史とそこにかけた思いをご紹介します。

お伊勢参り列車、走る

前の伊勢方面への鉄道延伸

日本人の旅の原点といわれるお伊勢参り。そのお参りを歩き旅の昔からさらに快適にしたのが鉄道でした。昭和に入り、近鉄(当時は大阪電気鉄道)は参宮急行電鉄を設立し、伊勢方面への路線延長を加速させます。参宮とは伊勢神宮へ参拝すること。まさしく伊勢神宮へのお参り列車を走らせる鉄道であったのです。
大阪から奈良を経て三重への経路を延伸するには、途中、渓谷や山間を抜けて線路を敷設する難工事を行う必要がありました。大阪-奈良間に立ちはだかった生駒トンネル(旧)より長い青山トンネル(3,432m)をはじめ、大小16のトンネルを掘り、135もの橋梁を架けるという大工事です。社運をかけた大事業を推し進めました。
1931年(昭和6年)、待望の大阪・上本町-宇治山田(伊勢市)間137㎞あまりが全線開業します。この区間には最新鋭の電車を投入し、2時間31分で結ぶことができるようになりました。営業キロ数は、創業時の上本町-奈良間の30.8㎞から、参急を含めると266.6㎞と8倍以上に伸ばしていたのです。

  • 開業当時の宇治山田駅
  • 上本町-宇治山田間全線開通時のポスター
(左) 開業当時の宇治山田駅
(右) 上本町-宇治山田間全線開通時のポスター

勢志摩国立公園の誕生と
伊勢志摩リゾートの夜明け

戦後間もない1946年(昭和21年)、伊勢志摩地方に大きな動きがありました。戦後初の国立公園として指定を受けたのです。近鉄は伊勢志摩国立公園の誕生を伊勢志摩リゾートの夜明けととらえ、伊勢志摩の開発に着手しました。
まずは、国内外の観光客をもてなす宿泊施設として、洋式ホテルの建設に取り組みます。三重県、近鉄、三重交通が資金を出し合う「第三セクター」方式で志摩観光ホテル株式会社を設立し、英虞湾に浮かぶ賢島をホテルの建設候補地に挙げます。しかし、志摩市の離島、賢島は距離としても遠く、しかも水が出ないという欠点がありました。それにも関わらず推し進めたのは、美しい風景と海の幸に恵まれた島という立地条件に加え、伊勢志摩の奥から開発するという戦略を描いたからでした。この戦略がのちの時代につながっていきます。
1951年(昭和26年)、赤い瓦屋根のクラシカルな純洋式の志摩観光ホテルを開業します。木造・鉄筋コンクリート併用の地上2階、地下2階建て、客室25室、定員48人という規模でした。ホテル開業に合わせて、近鉄の終着駅宇治山田-賢島間には三重交通の座席指定定期バス「パール号」が運転を開始しました。ホテルは、お客様に喜んでもらうためには心のこもったもてなしの心を大切にする〝賢島ホスピタリティ(もてなし)〟という人と人の繋がりを大切にする考えのもと、従業員36人が一丸となってお客様を迎えました。まだ誰もホスピタリティという言葉を使っていなかった時代のことです。そして、ホテル開業半年後、三重県巡幸の際に天皇陛下が宿泊されるという栄誉にあずかるのです。
「色づきし さるとりいばら そよごの実 目に美しき この賢島」
翌年の元日の新聞に、陛下の御製(ぎょせい)が発表されました。その歌碑は今なおホテルの庭園に立っています。

開業当時の趣を残す志摩観光ホテル ザ クラブ

  • お見送りする従業員にご挨拶される
    昭和天皇・香淳皇后
  • 宇治山田と賢島を結んだパール号
大阪万博を契機に総合開発へ

勢志摩を第二の万博会場に

1955年以降(昭和30年代)の高度成長期、国民所得の増加に伴い、人々は豊かさを実感する時代を迎えていました。1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催に続き、1970年(昭和45年)には大阪千里丘陵を会場にした「日本万国博覧会(大阪万博、EXPO’70)」の開催を控え、近畿圏に交通網をもつ近鉄は大阪万博の開幕に焦点を合わせ、一大飛躍を期していました。
近鉄の「万国博関連三大工事※1」と呼ばれた事業の一つに、鳥羽線建設・志摩線の改良がありました。これは、伊勢志摩を“第二の万博会場”に位置づけ、大阪万博に訪れた人々を伊勢志摩へ誘致するという狙いでした。当時、鉄道は宇治山田駅までで、そこから志摩へはバス輸送に頼っていました。宇治山田-鳥羽間13.2㎞の新線建設、さらに志摩線(1964年に三重電気鉄道から承継)の広軌化改良による接続を急ピッチで進めました。なぜならこの鉄道の整備は、大阪、京都、名古屋と賢島までを特急列車による直通輸送体制を確立することでもあったからです。鳥羽線は約13㎞という短距離にも関わらず、リアス海岸という地形から3つの駅、3ヵ所のトンネル、4ヶ所の高架橋、2ヶ所の変電所建設という大工事を強いられました。また狭軌の志摩線は急曲線やS字カーブの連続で、大型の特急列車を通すには全線の軌間拡幅と鳥羽港の一部埋め立てが行われるなど、大がかりな工事となったのです。
大阪万博開幕を翌月に控えた1970年(昭和45年)2月28日、竣工式を迎え、賢島までを祝賀列車が無事に走りました。伊勢志摩は“万博の第二会場”として多くの人々を迎えることができたのです。さらに、伊勢神宮の第60回式年遷宮が行われた1973年(昭和48年)には伊勢志摩地域入込客数※2は1200万人を超え、伊勢志摩は一大観光地に発展していました。

※1 日本万国博覧会にあわせて実施した大規模整備事業
「難波線建設」、「奈良駅および付近線路の地下移設」、「鳥羽線建設・志摩線改良」の3事業を展開
※2 伊勢志摩地域入込客数は、2002年(平成17年)から新基準に変更

  • 鳥羽線建設および志摩線改良工事の竣工を
    記念して行ったテープカット(賢島駅)
  • 鳥羽・賢島への直通運転のポスター

勢志摩の「リゾート法」適用と
「志摩スペイン村」の開業

昭和62(1987)年、滞在型リゾートを促進させる「総合保養地域整備法(リゾート法)」が施行されると、三重県が立ち上げた伊勢志摩から熊野にかけての海岸線の開発「三重サンベルトゾーン構想」がその第1号に承認され、近鉄は伊勢志摩の開発に拍車をかけます。志摩市磯部町の社有地に建設する予定の複合リゾート施設の具体的な検討を進めました。伊勢志摩の紺碧の海、リアス海岸の美しい景観などの自然環境や温暖な気候と豊富な海の幸などがスペインを連想させることから、テーマをスペインに絞り、また人々の価値観が「もの」から「こころ」へ移りつつある時代を反映し、基本理念を「こころの再発見」に置きました。アトラクション施設やスペイン風の街並みが魅力のテーマパークをはじめ、ホテル志摩スペイン村などが建ち並ぶ「志摩スペイン村」は、1994年(平成6年)オープンしました。開業後1年間の入園者は予想を上回る426万人を数え、リゾート開発の中核プロジェクト「志摩スペイン村」は伊勢志摩の新たな顔となっていくのです。

志摩スペイン村開業当時のサンタクルス通り

伊勢志摩への誘客の起爆剤をさぐる

ブル崩壊後の入込客数の低迷と
起爆剤「まわりゃんせ」の誕生

1993年(平成5年)、伊勢神宮の第61回式年遷宮が執り行われ、伊勢志摩地域入込客数は1500万人に上っていました。バブルが崩壊し、不況にあえぐ時代にあっても伊勢志摩地域では1994年(平成6年)「伊勢志摩ライナー」の運行開始、志摩スペイン村の開園、翌7年には賢島宝生苑の開業などリゾート開発に取り組んでいたのです。
しかし、平成7年以降、伊勢志摩への観光客は減少していました。伊勢志摩地域は、近鉄グループが長年かけて観光開発を行い、リゾート地として育んできた最重要地域です。この地域への観光客が伸び悩む中、誘客の起爆剤を模索していました。
2002年(平成14年)、伊勢志摩地域を巡る新たな企画切符「まわりゃんせ」を発売します。これまでの割引切符ではなく、伊勢志摩地域全体を一つのテーマパークのように見立て、パスポートの「まわりゃんせ」を持っていれば伊勢志摩地域内の特急を含む電車やバスが何度でも利用でき、観光施設に入場できる周遊システムを取り入れた点が画期的でした。それには、近鉄グループだけでなく、いかに地域の観光施設と協力体制が取れるのか、それがカギを握っていました。営業担当者は各施設に足を運び、協力を呼びかけ、オール伊勢志摩体制を整えたのです。その努力が実を結び、伊勢・鳥羽・志摩スーパーパスポート「まわりゃんせ」は誕生し、エリアや施設を増大させ、今もなお人気を誇るロングセラーとなっているのです。

  • 伊勢志摩ライナー
  • 「まわりゃんせ」発売当時のポスター
(左) 伊勢志摩ライナー
(右) 「まわりゃんせ」発売当時のポスター

62回式年遷宮に向けた取り組み

伊勢志摩の観光が上向きになる2013年(平成25年)の伊勢神宮第62回式年遷宮を控え、近鉄は次なる手を考えていました。その一つに志摩地域で「健康」と「スポーツ」をテーマにした滞在型リゾートの推進を目的としたスポーツイベントの開催があります。志摩市誕生に合わせたハーフマラソン「志摩ロードパーティ」をはじめ、女子プロゴルフ大会の誘致を成功させます。また、温泉掘削にも着手し、待望の天然温泉が湧出すると、賢島宝生苑やホテル近鉄アクアヴィラ伊勢志摩、志摩スペイン村で伊勢志摩温泉を来訪者に提供できるようになったのです。伊勢志摩に温泉という魅力も加えることができました。
そして、民営鉄道ではもっとも長い路線をもつ近鉄が長年にわたり構築してきた特急ネットワークをお客様のニーズに合わせて、さらに進化しようと開発したのが、観光特急「しまかぜ」でした。「乗ること自体が旅の目的、楽しみとなる列車」をコンセプトとし、アンケート調査などを基に、徹底した利用者目線で開発した近鉄の観光型フラッグシップ車両です。人口が減少する時代に伴い、特急の利用客も減少することが見込まれますが、特急料金を安くするのではなく、車内サービスを向上し、付加価値に見合う料金を設定する方針を掲げたのです。2013年(平成25年)3月、大阪難波-賢島間、近鉄名古屋-賢島間※をそれぞれ1日1往復する新型観光特急「しまかぜ」を運行します。運行開始から乗車人数は当初の予想を大幅に上回り、予約が取りにくいほどの人気を博したのです。

※2014年(平成26)には京都-賢島間でも観光特急「しまかぜ」の運行を開始。

観光特急「しまかぜ」

  • 志摩ロードパーティ
  • 賢島宝生苑温泉
伊勢志摩サミットに向けて

勢志摩サミットの開催

2016年(平成28年)5月、主要国首脳会議伊勢志摩サミットが開催されました。伊勢神宮の第62回式年遷宮が済み、参拝者の減少が予想され、観光客の頭打ちが懸念されていただけに、世界中から注目されるサミット開催は好機になると地元でも大歓迎されていました。そこに、うれしい知らせが近鉄に入ります。警備面などを現地調査した結果、会場が志摩観光ホテルに決定したのです。
1951年(昭和26年)に開館し、日本有数のリゾートホテルとなった志摩観光ホテルは2008年(平成20年)に新たなホテル「ベイスイート」を開業していました。最上階に配されたベイスイートのメインダイニング「ラ・メール」は、レストランに入ると、英虞湾の景色が一望できる趣向です。サミットでも首脳たちは海の幸をふんだんに使った料理長の極上のフレンチ料理を召し上がったのです。そして、首脳たちがベイスイート最上階の庭園に並び立つ姿は、世界中に発信されました。伊勢志摩の奥から開発するという当時の戦略が、平成の代にも生きたのです。

  • 志摩観光ホテル ザ ベイスイート
  • G7伊勢志摩サミット2016(出典:外務省)

らなる伊勢志摩地域活性化へ

令和という新たな時代、デジタルなどを活用して伊勢志摩の2次交通問題を解決しようと、伊勢志摩MaaS(マース)などの取り組みを進めようとしています。また、コロナ禍で生まれた新しいニーズに対応するため、伊勢志摩ワーケーションにも取り組んでいます。自然豊かな伊勢志摩は、コロナ禍またはアフターコロナでさらに選ばれる行先になるための取り組みを模索し続けています。

2024年の志摩スペイン村開園30周年、さらに2025年の大阪・関西万博、さらに大阪夢洲(ゆめしま)でのIR開業などが予定されています。そして、2033年には伊勢神宮の次期式年遷宮を迎えるなど、さらなるエリアの活性化に向けたチャンスはあります。地元と一体となりMaaSなどのデジタルサービスなどを活用しながら、時機を得た活性化方策の検討を進めていきます。

近鉄グループ伊勢志摩開発ヒストリー

1910
(明治43)年
9月奈良軌道(同年大阪電気軌道に改称)が設立
1927
(昭和 2)年
9月参宮急行電鉄が設立
1929
(昭和 4)年
7月志摩電気鉄道が鳥羽-真珠港間運輸営業開始
(昭和19年三重交通として統合、現在は近鉄志摩線、昭和44年7月賢島-真珠港間の運輸営業を廃止)
第58回伊勢神宮式年遷宮
1931
(昭和 6)年
3月参宮急行電鉄が大阪-宇治山田間全線開業
1941
(昭和16)年
3月大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併。
関西急行鉄道に商号変更
1944
(昭和19)年
6月近畿日本鉄道が設立
1946
(昭和21)年
11月「伊勢志摩」が国立公園に指定
1947
(昭和22)年
10月民鉄では初の座席定員制の有料特急を運行
(上本町-名古屋間)
1948
(昭和23)年
7月上本町-宇治山田間でも座席定員制の有料特急を運行
1949
(昭和24)年
6月近畿日本鉄道が特急券を座席定員制から座席指定制に変更
伊勢神宮の式年遷宮が延期。宇治橋の架け替えのみ実施
1951
(昭和26)年
4月「志摩観光ホテル」が開業
三重交通が宇治山田-賢島間で座席指定定期バス「パール号」の運行を開始
1952
(昭和27)年
4月三重交通が伊勢志摩周遊定期観光バスの運行を開始
1953
(昭和28)年
第59回伊勢神宮式年遷宮
1959
(昭和34)年
3月「イルカ島海洋遊園地」(現「イルカ島」)開業
1961
(昭和36)年
4月志摩観光ホテル増築
1964
(昭和39)年
3月「新賢島荘」(現「賢島宝生苑 雅棟」)開業
10月東海道新幹線 東京-新大阪間運輸営業開始
東京オリンピック開催(10月10日〜10月24日)
「伊勢志摩スカイライン」開業
1969
(昭和44)年
7月「志摩観光ホテル」新本館(現「志摩観光ホテル クラシック」の一部)竣工
9月賢島別荘地分譲開始
「賢島カンツリークラブ」(現「近鉄賢島カンツリークラブ」)開業
11月あご湾めぐりに外輪付き観光船就航
12月宇治山田-五十鈴川間運輸営業開始
1970
(昭和45)年
3月五十鈴川-鳥羽間運輸営業開始
大阪、京都、名古屋から賢島へ直通特急の運転を開始
日本万国博覧会(大阪万博、EXPO'70)開催(3月15日~9月13日)
「志摩マリンランド」開館
6月「賢島大橋」竣工
1971
(昭和46)年
7月「鳥羽シーサイドホテル」開業
1973
(昭和48)年
第60回伊勢神宮式年遷宮
1987
(昭和62)年
9月「浜島ゴルフ場」(現「近鉄浜島カンツリークラブ」)開業
1992
(平成 4)年
7月「プライムリゾート賢島」開業
1993
(平成 5)年
第61回伊勢神宮式年遷宮
1994
(平成 6)年
3月「伊勢志摩ライナー」運行開始
4月「志摩スペイン村」グランドオープン
7月伊勢市で世界祝祭博覧会「まつり博・三重’94」開催(7月22日〜11月6日)
1995
(平成 7)年
7月「賢島宝生苑」開業
1995
(平成7)年
10月賢島エスパーニャクルーズ「エスペランサ」就航
1996
(平成8)年
6月「鳥羽シーサイドホテル」新館オープン
1999
(平成11)年
7月「シーズンインアミーゴス」開業
2001
(平成13)年
4月志摩スペイン村「ひまわりの湯」開業
2002
(平成14)年
9月「伊勢・鳥羽・志摩スーパーパスポート“まわりゃんせ”」発売開始
2006
(平成18)年
4月「志摩ロードパーティ ハーフマラソン2006」開催
11月全米女子プロゴルフ協会の公式戦
「ミズノクラシック~伊勢志摩~」を近鉄賢島カンツリークラブで開催
12月賢島宝生苑に伊勢志摩温泉「朝なぎの湯・夕なぎの湯」開業
2007
(平成19)年
7月「ホテル近鉄 アクアヴィラ伊勢志摩」開業
2008
(平成20)年
10月「志摩観光ホテル ベイスイート」開業
(旧館は「志摩観光ホテル クラシック」に名称変更)
2011
(平成23)年
5月「第1回伊勢志摩ツーデーウオーク」開催
2013
(平成25)年
3月「観光特急「しまかぜ」運行開始(大阪・名古屋ー賢島間)
10月観光列車「つどい」運行開始
第62回伊勢神宮式年遷宮
2014
(平成26)年
3月賢島・阪神三宮間で近鉄特急車両による団体向け臨時列車運転開始
2014
(平成26)年
10月観光特急「しまかぜ」京都発運行開始
2014
(平成26)年
12月「第1回伊勢志摩サイクリングフェスティバル」開催
2016
(平成28)年
5月志摩観光ホテルにおいて「G7伊勢志摩サミット2016」が開催(5月26日~5月27日)
2017
(平成29)年
4月「全国菓子大博覧会・三重」開催(4月21日~5月14日)
2019
(令和元年)年
11月伊勢志摩地域でデジタル地域通貨「近鉄しまかぜコイン」の社会実験を実施(11月11日~1月31日)
2020
(令和2)年
1月観光地型MaaS専用アプリ「ぶらりすと」を使用した「志摩MaaS」の実証実験を実施(1月9日~3月31日)
2024
(令和6)年
3月「ぶらりすと」サービス開始

その他トピックス