社員紹介

WORK
STYLE

近畿日本鉄道
人材開発部

2016年入社/総合人間科学部卒

CAREER / キャリアアップ

1年目~
近畿日本鉄道株式会社
大阪エリアにて駅係員、車掌として勤務
2年目~
近畿日本鉄道株式会社
大阪エリアにてお客様満足度向上施策を担当
3年目~
近畿日本鉄道株式会社
大阪エリアにて運転士として勤務
4年目~
近畿日本鉄道株式会社
大阪エリアにて鉄道関連のグッズ企画、イベント企画・運営などを担当
5年目~
近畿日本鉄道株式会社
大阪エリアにて駅助役(管理監督職)として勤務し、従業員の労務管理や駅施設管理、収支管理を担当
6年目~
近畿日本鉄道株式会社
人材開発部にて人事制度改革や各部門の合理化施策に伴う労働組合との交渉、駅業務受託事業の管理などを担当

入社動機

REASON

将来的にやりがいのある仕事ができると考えました。

社会の中で「縁の下の力持ち」となるような仕事をしたいという想いがあったため、地域の方々の生活の基盤となり、発展させることができる鉄道業界を中心に就職活動を行っていました。その中でも近鉄グループホールディングスを志望した理由は、将来的にやりがいのある仕事ができると考えたからです。近鉄グループの鉄道事業は私鉄で最大の営業路線を有する反面、沿線人口の減少などを理由とした将来的な経営課題に他社に比べていち早く直面すると考えており、その難局を乗り越えるための施策を考え、実行したいと思いました。鉄道事業が廃れると営利企業として衰退するだけではなく、地域の人々の生活に不安を与えることとなるため、他社に先立つ事業改革やグループ会社を活用した新たな事業の展開により、同業他社を先導し鉄道業界全体を活性化させたいと考えました。

仕事内容

WORK

人事制度の拡充に伴う労使交渉や
駅業務受託事業の管理に携わっています。

私は現在、近鉄グループの中で鉄道事業を担っている近畿日本鉄道に所属しているのですが、新型コロナウイルスの影響で会社を取り巻く環境が大きく変化したことから、その環境に合わせるための様々な施策の企画立案などを行いました。このような状況の中で、社員により働きやすいと思ってもらえるように、人事制度を拡充したり、当社以外の駅の業務の受託事業に携わっています。
私の仕事におけるミッションは、会社の経営層と社員の橋渡しであると考えており、コロナ禍という難局の中においても、社員の満足度を高めながら会社の進もうとしている方向性を見据える必要があります。私は、従業員満足度の向上は最終的にはお客様サービスの向上に繋がると考えているため、常に、社員が何を考えているのか、何をしたら働きやすいと感じるのかを意識しながら仕事をしています。社員の働き方を変える際には労働組合との交渉が必須であり、約8,000人の近畿日本鉄道の社員の代弁者となる組合の方々からの社員の声を聴きながら、会社の考えや方向性を説明し、会社と社員の双方にとってよりよい選択ができるよう心がけています。

心がけていること

MOTTO

挑戦すること、そして
相手に気持ちよく仕事をしてもらうこと。

近畿日本鉄道は安全を第一とする鉄道会社であるため、何かを変えて失敗するよりは現状維持で安全側にいた方がよいという考え方があります。しかし、将来長きにわたり企業として生き残っていくためには、挑戦することが必要となるため、「できない理由を探す」ではなく「やる理由やできるための方法を考える」ことを常に意識しています。
また、各種の施策は他部門と連携して進める案件が多いため、さまざまな人と仕事をする機会があります。一つの会社と言えども運輸部門、車両部門、施設部門やその他の企画部門と多岐にわたり、それぞれの部門での文化や考え方が異なるため、時には摩擦が生じることもありますが、相手に気持ちよく一緒に仕事をしてもらえるよう心がけています。

学生時代

SCHOOL DAYS

アイスホッケー部の活動を通して
人として大きく成長できました。

大学時代は体育会のアイスホッケー部に4年間所属していました。所属員の大半が大学から競技を始めた方でしたが、私は大学以前よりアイスホッケーの経験があったため未経験者の指導を主に行っていました。最初は滑ることもままならなかった後輩が、必死に練習し、しばらくすると一緒にプレーできるようになり、試合で点数を決めたりすると、非常に感慨深いものがありやりがいを感じました。
また、アイスホッケーという競技は練習場所もスケーリンクに限られているため、練習時間は深夜帯で、部費も月2万円程度と学生にはかなり負担の大きいものでしたが、大学に対しては、少しでも部員の負担を減らしたり、練習する機会を確保したりするため、援助金を出してもらうよう交渉していたほか、他大学に対しては練習を合同で行うようお願いすることで、練習時間を確保するとともに練習の質を向上させるよう心がけていました。精神的にも肉体的にもハードな4年間でしたが、人として大きく成長することができたと感じています。