ブックタイトル特別企画展 富岡鉄斎と近代日本の中国趣味

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特別企画展 富岡鉄斎と近代日本の中国趣味

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概要

特別企画展 富岡鉄斎と近代日本の中国趣味

ごあいさつ最後の文人画家として知られる富岡鉄斎(初名・猷輔、後に百錬、字・無倦、号・鉄崖、鉄道人など)は、江戸時代末期の天保七年(一八三六)、京都の法衣商の次男に生まれました。若い頃から学問を志し、私塾を開き、湊川神社、石上神社、大鳥神社の神官を歴任しますが、兄の死に伴い、明治十四年(一八八一)、京都に戻ります。以後大正十三年(一九二四)に八十九歳で没するまで、学者文人として精力的に書画制作を続け、独創的なスタイルを作り上げました。その大胆な構図、躍動する筆墨、鮮やかな色彩は、文人画に近代性をもたらしたものとして高く評価されています。旺盛な知識欲を持ち、中国大陸からの文物のとりよせや古籍の購入に熱心だった鉄斎は、自身の中に巨大な知のデータベースを構築していました。鉄斎の豊かな教養と真摯な学習態度は、作品の跋文や粉本によく表れています。これは伝統的な東洋文人の教養のあり方を継承するものであると同時に、京都における近代中国学の形成に貢献するものでした。鉄斎の周りには、子息・謙蔵(一八七三?一九一八)の仲介を通じて、京都帝国大学教授・内藤湖南(一八六六?一九三四)や、在野の中国学者・長尾雨山(一八六四?一九四二)など多くの学者たちが集まっていました。彼らは清末の動乱の中で関西地域に多くの中国書画をもたらし、日本の中国絵画史観を大きく変えた人物たちです。この特別企画展では、中国古典への知識に裏付けされた鉄斎作品と、富岡家およびその周辺の中国書画コレクションを紹介します。展観を通じて、近代日本と中国の文化交流における鉄斎の重要性に目を向け、その作品の新たな魅力を発見していただければ幸いです。凡例・本書は平成二十六年八月二十二日から十月五日まで、大和文華館で開催される特別企画展「富岡鉄斎と近代日本の中国趣味」の特集図録である。展示作品の内、主要なものに限って収録した。・本書の図版番号と展示とは必ずしも一致しない。また会期中展示替を行う。・作品の法量(縦×横)の単位はセンチメートルである。・写真は各所蔵者より御提供いただいた。図版番号11、13の撮影は株式会社便利堂、9、14、15、21?23の撮影は三原昇氏による。・本展の企画、本書の編集、扉解説および作品解説の執筆は植松瑞希(当館学芸員)が担当した。