美術館概要-沿革-

大和文華館 沿革

種田虎雄

財団法人大和文華館は、奈良市学園前の閑静な住宅街に位置する美術館です。昭和35年(1960)、近畿日本鉄道(近鉄)の創立50周年を記念して開館しました。
近鉄の五代目社長であった種田虎雄(おいたとらお)(1883~1948)は、京都・奈良・伊勢といった歴史ある地域に鉄道を敷設している会社として、日本美術の素晴らしさを世界に向けて発信できる施設を沿線に作ることを望んでいました。この期待に応えるべく計画を一任されたのが、後に初代館長となる美術史家、矢代幸雄(1890~1975)です。

矢代幸雄
(画像提供:東京文化財研究所)

矢代はイギリス・イタリアに留学して初期ルネサンス美術を研究し、ロンドンでは英文の大著『サンドロ・ボッティチェルリ』を出版しました。帰国後、西洋美術から東洋美術へと目を転じます。東京文化財研究所所長などを歴任し、日本・東洋美術のもつ価値を普遍的な言葉で世界の人に伝えるべく、研究に専念し、西洋美術の眼からみた東洋美術の再評価に関する研究は大きな影響を与えました。
こうして、洋の東西を超えた国際的視野を持った矢代によって、美術館のコンセプト、コレクション収集など、ゼロからの美術館作りが始まりました。戦後間もない昭和21年(1946)のことです。


外国からの賓客と
談笑する矢代幸雄

昭和35年10月31日、『開館記念特別展』の開会式が行われ、大和文華館は開館しました。この間、財団設立から14年もの歳月が流れています。この時までに所蔵品は700件を超えています。鑑賞のための美術館、美のための美術館として、矢代が最も重視したのが自然との調和です。矢代は東洋の美術は、「自然の額縁」のなかにおいて一番美しく見えると考えていました。この理念を受けて建物を設計したのが、日本芸術院会員、吉田五十八(よしだいそや)(1894~1974)です。


大和文華館は蛙股池をのぞむ高台にあり、文華苑とよばれる自然苑に周囲をかこまれています。赤松の古木が出迎える門をくぐり、本館に通じる小径のゆるやかなカーブをのぼると、一歩ごとに、気持ちが美術鑑賞に向かって整えられていくのを感じるでしょう。本館の建築は、外観は桃山時代の城郭をイメージさせる海鼠壁(なまこかべ)、なかに入ると庫裡風の重厚な木組みにささえられた廊下がひろがり、明かり障子から差す優しい光につつまれ、ゆったりと展示場へいざなわれます。展示場中央に大胆にも設えられた竹の庭は、当館の大きな特色です。自然光を取り込む他に例のない展示空間が広がります。
昭和60年(1985)には、美術研究所を併設、辰野金吾によって設計された奈良ホテル・ラウンジの一部(明治42年[1909]建築)も移築されて文華ホールと名付けられました。


文華館航空写真

開館50周年を迎えた平成22年(2010)、本館建物の耐震補強やバリアフリー化などの大規模な改修工事を行いました。リニューアル工事は、当初設計及びコンセプトの尊重を第一に、よりよい展示空間、鑑賞環境となるよう進めました。
現在までに所蔵品は2000件を超え、その中には国宝4件、重要文化財31件が含まれます。このほか、故中村直勝博士蒐集古文書(雙柏文庫)664件、近藤家旧蔵富岡鉄斎書画143件、鈴鹿文庫(和書)6、162冊があります。
私たちはこれらの所蔵品や歴史資料によって、作品の深い味わいと東洋美術の新たな表情に出会う喜びを、これからも多くの人と共有していきたいと願っています。